また今年も、ひっそりとした一年だった。

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いつからか、時の流れがはっきりと感じられるようになった。
子供の頃は、果てしなく長い時間がたくさんあった。家族みんなでテレビを囲んでいる時にキッチンで皿洗いをすること、姉の教室のドアの前で数学の先生の授業が終わるのをしゃがんで待つこと、金曜日の午後の最後の授業、そしてお正月まであと十日というあの日々。朝起きてカレンダーに印をつけ、遊びに出かけて帰ってきても、まだ30分しか経っていないことに気づく。それから母に宿題を早く終わらせなさいと急かされ、ご飯のいい匂いがしてきてペンを置き、ふと顔を上げると、まだ12時にもなっていなかった。
脳というのは怠け者で、すべてを記憶したくないのか、印象だけを覚えていることがある。祖父の家のガチョウは人を追いかけてくること、昔いた嫌な隣人のこと、円の面積を求める問題は計算が難しかったこと、後ろの席に座っていていつも私より点数が低かったあの子が少し可愛かったこと。実際には、どんな出来事がその印象を生んだのかはとっくに忘れてしまった。ただその感覚だけを覚えていて、思い出そうとすると脳内で補完できてしまう。印象の中では、お正月前のあの十日間は、もう一度新年を待っているかのようで、みんながテレビを見ている時に皿洗いをさせられるのが最大の罰だった。
一度、一人で家にいた時、自分に卵チャーハンを作ったが、油を入れすぎて食べきれなかった。油でギトギトになった鍋と皿を見て、一曲選んで皿洗いを始めることにした。お湯が熱すぎるから水を足し、洗剤を垂らし、洗い終わったら水で流し、食器棚にきれいに並べ、それからテーブルを拭いて床を掃いた。不思議なことに、以前はあんなに汚れた皿を洗うのが大嫌いだったのに、今回は皿洗いなんて大したことないと感じた。すべてが順序通りに終わっていった。
期末試験の時、事前に良い順位を取ったことを知り、大勢の前でスピーチをすることになった。以前のように眠れずに寝返りを打つこともなかった。期待はしていたけれど、心の中では分かっていた。眠って起きれば、その日がやってくるのだと。だから安心して眠りにつき、そしてその日がやってきた。
ゆっくりと、ある物事に確定した日付があれば、待つこともそれほど耐え難いことではなくなった。たとえそれが遅れたり、延期されたりしても、ゆっくり待てば、必ずやってくることを知っているから。
臘八節(ろうはちせつ)が過ぎて小年(しょうねん)になり、それから28日、29日、30日、目が覚めれば新しい一年だ。
17歳が過ぎて18歳、それから19歳、20歳、21歳、目が覚めれば新しい年齢だ。
苦難に対する忍耐は増えたけれど、素晴らしいことへの期待は少し減ってしまった。
用意されたプレゼントは必ず枕元に置かれることを知っているし、どんなに辛い日々も必ず終わりが来ることを知っている。
焦らないで。明日になれば来年だ。おやすみなさい。
出かける時はマスクを忘れずに。
新年おめでとうございます。