庭の犬は、木の枝に遮られて断片的に降り注ぐ陽光の中で、気だるげに地面に寝そべっている。新しく舗装されたセメントの道には、風に吹かれた落ち葉がカサカサと鳴る音だけが響く。坂を上りながら、この村は死にゆこうとしている、そう思った。
道の両側には新しいソーラー街灯が立ち並び、不揃いだった瓦屋根の家々は、一つまた一つと四角い箱のような建物に建て替えられていった。堂屋(客間)はなくなり、トウモロコシを干す屋根裏もなくなり、ビー玉遊びをする子供たちが手で掘り返してデコボコにした庭も消えた。電線の一本一本が、CCTV-1から新浪新聞に至るまで、あらゆる情報を運んでくる。ドアを閉ざせば、そこはもう一つの世界だ。
椅子を手に持ち、一歩ずつ移動しては家の前で息抜きをしていた老人たちは亡くなった。新しい老人たちは、煙が立ち込める中で、同じような老人たちと麻雀を打っている。子供から大人になった若者たちは、あの四角い箱のような家のために外で必死に働いている。だから、その子供たちの子供は、もう帰ってこない。
春に毛楨(タケノコ)を探し回り、夏には群れをなして緑頭(トンボ)を追いかけ、秋には山いっぱいに野果を探し、冬には寒さも忘れて雪合戦をした日々は、私たちの特別な記憶となった。あの賑やかだった村は二度と戻らない。村はゆっくりと、控えめに、長年かけて悟った道理を若者たちに教え始めている。諭すこともなく、口うるさく言うこともなくなった。他の老いていくものたちと同じように。
かつて通学に使った道を上り詰めて初めて気づいた。永遠に続くと思っていた道は、実はたった15分で歩ける距離だったのだ。私たちは大人になるのが怖いのではない。自分が嫌いな姿になってしまうのが怖いのだ。それなのに……誰もが皆、そうやって嫌悪しながら大人になっていく。誰かの老いと、その他多くの未知なるものと共に。
郭敬明はこう言った。「時の川は轟音を立てて前へ押し寄せ、私はその傍らで黙って俯いている」。後に彼自身も笑いながら言った。誰もその流れから逃れることはできないのだと。
最高地点にたどり着いたとき、太陽はちょうど沈みかけていた。雲を赤く染め、眩しさを和らげるちょうどいい位置に。一日中彼女を待ちわびていた空山が、情を込めて見つめる位置に。太陽が老いた後、彼女は白色矮星へと収縮し、息も絶え絶えな日々の中で最後の光と熱を微かに放ち、やがて冷たく静かな闇へと入っていく。他のあらゆる死と同じように。
夕日を眺めていると、山の麓から一人の少女が登ってきた。私たちは互いの目に同じ光が宿っているのを見て取れた。互いの淡い憂鬱も、互いに抱擁を求めていることも分かった。しかし、私たちはただ黙って夕日を待ち、顔を見合わせて微笑むと、背を向けて立ち去った。
IT IS DYING、すべては死と共に去りゆく。
孤独を享受する――日没。