あの頃の私は、あなたが「痩せすぎだ」と言ったくらいで心拍数が上がるなんてことは絶対にあり得なかった。けれど、あの日、あの車の2平方メートルの中で、私は確かに顔を赤らめた。
{% meting "740611" "netease" "song" loop:none"%}
晴子さんのゴミ箱から見つかった一通の手紙。
前略、
もしこれが私の一人称小説だとしたら。台風の季節に彼と恋に落ち、それから一つまた一つと台風の季節を一緒に乗り越えていく。晴れた日には日に干した布団で眠り、風があれば凧を揚げ、涼しければピクニックに出かけ、台風が来ればリビングのソファに丸まって、前回見終わらなかった超長尺の映画を一緒に観るの。
外は風雨が鳴り響き、野山一面が今日という日で埋め尽くされている。
中学の頃に二人で購読したあの雑誌を覚えている? あの頃の私は、そこに載っている人たちのような悲喜こもごもを心から期待していた。いつか自分が主人公になって、男の子と幾多の困難を乗り越え、最後には冬の川辺でビールを飲みながら涙を流して彼を忘れるのだと、そう信じていた。
でも、今は脆くなってしまった。
アニメやドラマを観ていても、カップルに少しでも波風が立つと耐えられなくなってしまう。ただ平穏な恋愛が観たい。第三者なんて現れないでほしいし、生別や死別もいらない。二人が寄り添って静かに暮らしていければ、それでいい。
子供の頃は欲張りすぎて、青春はすぐに過ぎ去ってしまうと思っていた。あんなに起伏の激しい感情を、早く味わっておかないと大人になってしまうと焦っていたの。でも実際は、大人になろうとなかろうと、受け入れるべきことから逃げることはできないのよね。
それに、私はもう大人になったつもりでいた。
卒業の年、最後に学校へ戻って荷物をまとめたとき、いつもは狭いと感じていた寮が空っぽで、机の上も片付いていた。おかげで、ずっと探していたAirPodsも見つかった。大きなスーツケースを引きずりながら、向こうから歩いてくる寮母さんに笑顔で挨拶をして、校門で勇気を出してずっと触れずにいたあの茶トラ猫を撫でて、外へ出た。寂しさや悲しみ、辛さなんて微塵もなくて、これからはこれまで通り一人で生きていこう、そう思っていた。
あなたが勧めてくれたあのゲームの主人公みたいに、狩りをして、欲しいものを作って、意識をコンピュータにアップロードして、死んでも復活できる。私はずっと、それが進化の最終形態だと思っていた。一人で一つの種族として、どこまでも続いていける。まだゲームのように宇宙を駆け巡ることはできていないけれど、一人でしっかり生きていく準備はできていると確信していたの。
ただ、突然、恋がしたいという気持ちが湧いてきた。
もうとっくに悟りを開いたつもりでいた。メッセージの即レスも、街中でいちゃつくカップルも、SNSで延々とノロケるのも、相変わらず馬鹿げていると思っていた。ある週末、いつものようにジムから帰ってきて、シャワーを浴びてソファにうずくまり、前回読み終えられなかった『百年の孤独』の続きを読んでいた。体には前日スーパーで買ったスポンジ・ボブの小さなブランケットをかけて。登場人物の名前もほとんど忘れてしまっていたけれど、眠気をこらえてなんとか読み終えたら、頭がぼーっとしてそのままソファで眠ってしまった。
目が覚めると外はもう暗かった。『君の名は。』に出てくる「黄昏時」ほど明るくはないけれど、闇がすっかり包み込んでいた。起きたばかりで少しめまいがして、心拍数が速い。突然、『百年の孤独』に出てくる錬金術を研究するあの小さな部屋を思い出し、繰り返されるあの一族のことを考えた。なるほど、だから『百年の孤独』というのか。そう思った瞬間、涙が溢れてきた。理由もなく、ただ涙が止まらない。薄暗い部屋で目覚めたからでも、感情を揺さぶる本を読んだからでもない。もしかしたら、「今の私はなんて哲学者っぽいんだろう」と思ったからかもしれない。頭に浮かんだこの突拍子もない考えは、少なくとも教科書3冊分にはなるはずなのに、誰に話せばいいのか分からない。
おそらく、これが恋に落ちる理由なのだと思う。相手の世界に入り込むことには興味がない。ただ、互いの世界がぶつかり合うことに魅了されているだけ。完全に目が覚めれば、当時の自分が考えていたことなんて哲学者には程遠いと分かるけれど。でも、少なくとも互いにとっての哲学者にはなれる。楽しくお喋りできる人に出会えば、自然と会話は続いていく。これが、かつて「恋愛に興味がない」と豪語していた私に対する懺悔であり、説明なの。
だから、別れも当然のことのように思える。
私たちの付き合い方は純粋で高尚なものだと思い込んでいた。それがようやく恋愛と結びつき、「好きだ」と言われたり、遠距離恋愛が始まったりしたとき、気づいたの。ああ、結局何も特別なことなんてなかったんだって。自分の平凡さを受け入れきれていないのに、自分が特別ではないということを先回りして受け入れてしまったから、いつも自分自身との矛盾が生じてしまう。
孤独は確かに増殖し続けている。宇宙を漂いながら自分の宇宙船を造っているあの小さな人は、こんな気持ちになるのかな。少なくとも私にとっては、孤独を扱うのがどんどん下手になっている。ただ、孤独に対する耐性だけが強くなっているの。高校生の頃も同じように感傷的だったけれど、孤独を恐ろしいものだとは思わなかった。むしろ、それが自分という人間の証だと思って、ショーペンハウアーの本をこっそり机の中に隠し、無知な人たちとどうにか上手くやっていこうと楽観的に振る舞っていた。
結局のところ、「俗物」なんて言葉は俗物な人間が使う言葉に過ぎないのだと気づいた。人は皆、ユニークで輝いている。他人を急いで色分けしようとする人には、他人の輝きが見えなくなってしまうだけ。だから、みんな孤独なの。子供の頃はそれが怖くなくて、自分のギフトだと思っていた。少しずつ、みんな孤独の中で自分をうまくケアしているのに、自分だけが取り残された人間になってしまったことに気づいたの。
「しっかり生きる」ということに、果たして結論はあるのかしら。私は自分が望む人生を手に入れたと感じ、彼は彼が望む人生を私が手に入れたと感じている。私たちは一体、何を追い求めているんだろう。
面白いことに、彼に対して唯一心拍数が上がった瞬間がある。初めて車の後部座席に乗ったとき、彼が窓枠に手を置いて、街灯が手首に降り注ぐのを見ながら「僕の手首、綺麗だろ」と言ったの。私は反射的に「痩せすぎだからだよ」と返した。言い終わってから気づいたの。この会話、全く同じやり取りを以前したことがある。ただし、その時「自分の手首が綺麗だ」と自慢したのは私の方だった。
あの頃のあなたは、銭湯の入り口を通るたびに深呼吸をして、私にこう言ったものね。「とにかく、風呂上がりの女の子の匂いは、新年一日に下着を新調したときみたいに清々しいんだ」と。
あの頃の私は、あなたが「痩せすぎだ」と言ったくらいで心拍数が上がるなんてことは絶対にあり得なかった。けれど、あの日、あの車の2平方メートルの中で、私は確かに顔を赤らめた。